じゃばみ(@jabamichan)です。
初めてライブハウス「太陽と虎」に出演したので、久々にライブレポでも書こうかなと思います。
もくじ
【PAさんの卒業イベントになぜか呼ばれた私】
太陽と虎に出演したのは今回が初めて。
ライブハウスに出演すること自体が数年ぶりだったので、とても楽しみにしていました。
呼ばれたイベントは「中村祭」というイベント。
10年ほど太陽と虎でPA(音響の人のことです)をしていた中村さんという方が太陽と虎を卒業し、今後はフリーでお仕事をされるということで、中村さんにゆかりのあるミュージシャンを集めたお祝い的なイベントでした。
出演オファーをいただいた時
「はて、中村さん・・・?面識あったかな。。。。」
と正直頭の中は疑問符だらけ。
でも、私を指名してくださっているからには何か理由があるんだろうと思い、出演を受けることにしました。
【初めてPAをしたのが私だった】
会場に入り、リハーサル前にバインダーが手渡されました。
タイムスケジュールや、セッティング表など出演に必要な書類の上に、中村さん直筆のお手紙が。
「私がスタークラブ(別のライブハウス)で初めてPAをしたのがじゃばみさんだったんです」
続きを読むと、私がもっとアンダーグラウンドな曲を歌っていた時に担当してくださったみたい。
私は覚えてなかったんですが(ごめんなさい。。。)、
初めて担当した私のことを覚えてくださっていたんだ・・・と感激しました。
このイベントには10組近くのミュージシャンが集まって、破壊的なイベント(良い意味で、ですよ)だったのですが、中村さんが人を大切に思える人だからこそ、たくさんの人が集まったんだと思います。
ソロはともかく、バンドを継続するのは本当に難しい。
かく言う私はバンドを組み、ダメになった回数は合計7回(もっとあるかもw)。
だから、10年あったらそれだけミュージシャンは生まれては消えていくもの。
そんな中、現役でまだ頑張ってるよって胸張って言えるのは、なんか嬉しい。
【カリスマ的存在だった松原さん】
開場前には社長の松原さんのパネルも設置されました。

松原さんは、腎臓がんを患い闘病生活を送ってこられましたが、2019年4月4日に亡くなられました。
私と松原さんの出会いは、かつて松原さんが店長をしていたスタークラブに出演した時のこと。
打ち上げでは、減らないビールや消えるビールマジックなど、ありとあらゆる手段でビールを飲ませる、親分みたいな存在感の人でした。
今では考えられないかもしれませんが、当時はバンドマンは打ち上げで飲めないと「サムい」人扱いだったのです、
みんな一生懸命飲んで「お前おもろいやつやなぁ」と認められようと必死でした。
私も何度つぶれてきたことか。笑
その1年後、私は当時スタークラブの系列店だったマージービートというライブハウスでアルバイトを始めました。
系列店の忘年会だったか新年会だったか、参加したときはそれはにぎやかで。
その中でもやっぱり松原さんはカリスマ的存在でした。
翌年5月には、チャリティーイベント「COMING KOBE」の前身であるイベント「GOING KOBE」が開催され、私は募金集めスタッフとして配置され、前日の設営から当日まで、貴重な体験をさせていただきました。
そんな大きなイベントを立ち上げ、バンドマンを育て、神戸に貢献してきた松原さん。
私みたいな三下にはとてもお近づきになれない人でしたが、本当に尊敬しています。
生前はちょっとでしたが、お世話になりました。
ご挨拶できてよかったです。
【ライブハウスのよさを改めて実感】
さて、肝心なライブですが、昨日のセットリストは中村さんへのはなむけに応援ソングをチョイス。
- プロローグ
- ファイト!(カバー)
- 国道191
- LIFE IS ONCE〜転がっても進んでくんだ〜
の4曲をお届けしました。
最近は音響設備も整わない中でのライブがほとんどだったので、ちゃんとPAさんのついてるライブってこんなに気持ちいいんだ!と改めて実感しました。
イベントとしてはお祭り感と内輪感満載の企画だったので、どっちかと言うと畑違いの私は早々に退散させていただきましたが、初めての太陽と虎、久しぶりのライブハウス出演という貴重な機会をくださったことに感謝しています。
中村さんの今後のご活躍を心よりお祈りしています。
そして最後になりましたが、平日にもかかわらず、お越しくださったお客様ありがとうございました。
そして、応援メッセージをくださったお客様にも感謝。
ライブってやっぱりいいな!
ライブハウスっておもしろいな!
そう思った1日になりました。
またいつか、お互いに成長して出会える日が迎えられるよう、これからも頑張りたいと思います。